幸せ家族、と言われて思い浮かぶのは、母親が作った手料理を囲む家族団欒の食卓。
母親が手料理を作ってあげないなんて、信じられない。
たとえ手作りでも、混ぜるだけのお手軽料理は子どもが可哀想。
そんな「呪い」を、自分にかけていませんか?
この記事では、わたしがこの「呪い」を手放した話を書こうと思います。
料理することが好きではないけど、毎日子どものために無理をして手料理を作っている、そんなあなたに読んで欲しい記事です。
Contents
自己犠牲イコール良い母親像
以前のわたしは、完全な良妻賢母を目指していました。要領は良いほうなので、自分ならそれができる、と思っていました。
でも、数年やってみて壁にぶち当たります。
母親に求められている「料理」というものは、手間暇をかけること自体に意味があるので、要領の良さは意味をなさないのです。
食事が本来持つ価値は、「味」「栄養」のはずなのに、母親の手料理となると、母親が「家族のために時間と労力を費やしている」ということの方が重要になります。
日本においては自己犠牲こそが良い母親を表すものであり、「母親の手料理」がそれを体現しているのです。
育休中の料理プレッシャーに嫌気がさした
わたしは、2010年に第一子、2014年に第二子を出産しました。その間に職場復帰もしています。仕事も家事育児も両立する、まさにスーパーウーマンをめざしていました。
そんな中、第二子の育休中にプチクライシスが訪れます。
イヤイヤ期の幼児と乳児が四六時中一緒にいる状況で、育休中の自分に対して、毎日の夕飯を作ることが求められているという状況にしんどさを感じていました。
保育園で夕食をお願いすると一気に楽になる!
次のクライシスは、第二子出産後の復職を果たしてから訪れました。その当時のわたしの日常はこんな感じでした。
7:00:起床
7:15:朝食
8:00:家を出る(4人で車で)
8:05:息子と夫を息子の保育園に下ろす
8:10:娘の保育園到着
8:30:娘の保育園出発
9:00:出社
17:30:勤務終了
18:00:息子の保育園到着
18:30:娘の保育園到着
18:45:家に到着、夕飯作り
19:30:夕飯
20:00:お風呂
20:30:子供の寝かしつけ
21:30:(起きれたら)家事
22:30:私のフリー時間
毎日、夜に自分の自由時間を確保できていたので(そのために必死で寝かしつけた)ワンオペとしてはマシな方なのかもしれません。でも、仕事を終えてから子どもたちを寝かせるまでの夕方〜夜の時間がとにかく大変で。
ある日、残業のために保育園に夕飯をお願いしたら、それだけで夜寝るまでの流れがものすごく楽だったんです。
夕方にスーパーで買い物をする→料理を作る→子どもに食べさせる→食器や調理器具を洗う→片付ける
この一連の作業が、「平日は家で夕飯を作らない」と決めるだけで、すっぽりなくなるんですよ!
毎日、保育園で夕食をお願いすることについて、夫に相談してみたら、あっさりOKがでました。夫は、わたしが手料理を作らねばならないなんて考えは持っていなかったのです。
よって、子ども達ふたりとも、それぞれの園で夕食を食べさせてもらうことにしたのでした。
母は常に、食事のことばっかり考えている
平日の料理から開放されてみて初めて、いかにそれまで、わたしが毎日料理の事ばかり考えていたかに気付きました。
思い返してみれば、育休中の頃から、お昼ご飯の後すぐに夕飯のことを考えていましたね。ママ友とおしゃべりしていても、「今日夕飯何にする?」って必ず話題に出ていました。
土日は土日で、平日の夕飯に向けて買い出ししたり作り置きしたり。料理が好きな人にとってはなんでもないことなんでしょうが、たいして好きでもないわたしにとっては本当に苦行でした。
食事の効率化を阻害するもの
昔々、文字通り、人は食うために働いていました。農耕も畜産もほぼ人の手作業で一年中休みはなく、保存技術もなかったため、そのとき食べるものをそのときに調達する必要があったからです。
でも、今はそんなことをする必要はありません。少なくとも日本には、安くて美味しく手軽な食べ物が溢れています。栄養条件が悪いわけでもありません。
すべての生産物に言えることですが、効率化に必要なことは一括(大量)生産と自動化です。世の中のほとんどのことはこの手段で効率化されています。
なぜ、家庭の食事にはこれが適用されないのかというと、やはり、母親が家族のために自分の時間と労力を費やしている、ということそのものが、日本の家庭にとっては大きな意味を持っているからだとわたしは思います。
しかも、一番そういう固定観念を持っているのは、母親自身だったりするので、いつまでたってもこの信条は無くならないのです。
母親自身が、手間暇をかけて自分が食事を作る”べき”と考えている思い込みが原因!
母親自身が、自分に手料理の呪いをかけている
外食や惣菜、家事委託の利用など、料理をアウトソーシングすると、食事のコストが高くなるという懸念があります。
しかし実際は、外部にアウトソーシングすることで追加で払うコストはある一方で、その分減っているコストもあります。ついでに、短時間勤務からフルタイム勤務に戻せるなどで収入が増やせるかもしれません。
コストについては、お金だけでなく時間も含めて比較すべきです。手料理することで節約できるお金は、母親の労働給料だからです。わたしは、自分の時間をもっと他のことに使いたいと思います。
自分の時間がその分の費用に見合わない、食事を作ることが苦ではないと思うなら、自分で料理をするのももちろんありです。食事を作ることに対する意識は人それぞれですしね。
ただ、以前のわたしのように、「母親は毎日家族の料理を作らねばならない」という呪いを自分自身にかけるのはもうやめませんか?
平日、ママが疲弊しイライラしながら作る手料理より、休日にみんなで作って食べる料理の方がきっと、子どもにとっても素敵な記憶として残るはずです。
ちなみに、その場で食べられることを前提に作られた食事の方が「おいしい」という意見には同意します。
その点でいうと、保育園での夕食はまったく問題ないですよね。(わたしが食べたいくらい…)保育園ママは積極的に保育園での夕食を活用することをオススメします。
現在の我が家のアウトソース先は義母
我が家では現在、朝食と夕食は、1年半前から近くに引っ越してきてくれた義母にお願いしています。
夕食どきまでにはわたしも帰るようにして、義両親、子どもたち、わたしで一緒に我が家で夕飯を食べます。夫は大抵帰りが遅いので、一人分を取り分けておきます。子ども、というよりは、夫とわたしの食事事情が劇的に改善されました。
義母は、作るのは苦にならないけど片付けは嫌いだそうで、毎食後の片づけはわたしの役目です。また、義両親の食費は我が家が負担しています。
もし義母にお願いすることが無理だったとしても、わたしはわたしが料理をしなくてすむ方法を模索していたと思います。
一旦、自分が家で料理を作らなくてもいいんだ、と思うことができれば、解決策はいろいろとあるのです。
母親の手料理という「呪い」から解き放たれよう
わたしはとっても恵まれているケースだと思いますし、みんなが同じ環境を作れるとは思いません。
でも、自分の望みと向きあって、できるところから変えてみたのは、大きな一歩だったと思っています。
わたしが自分を犠牲にしながらもなんとか料理をしていたら、おそらく義両親はいまのように手伝ってくれてはいないでしょう。
働くママが増えたいまの日本においても、家庭の料理は自分が担うべき、と当たり前のように考え、毎日ギリギリの状態でなんとかしてしまっている現状が多いのではないでしょうか。
いまギリギリのところで頑張っているママが、固定観念を取り払って声をあげたら、きっと何かが変わると思うのです。
完全個室のプライベート食堂。最寄駅にあって、あたかも家で家族で取れるような雰囲気で食事ができる。メニューは毎日1種類のみ。
需要がもっと発生すれば、いまの「家庭の母の手料理」にもっと自然な形で代替できるサービスが出て来るはず!
さあ、みんな、声をあげよう!!
オーダー初心者の方も安心!
\ココナラで似顔絵SNSアイコンの作成を承っています/