ここ数年、親から子への虐待のニュースが絶えません。
特に、母親から子どもへの虐待のケースは、自分も同じく子を持つ母親として怒りを感じ、
「こんなことをする人は、親になる資格(精神的な成熟度)が足りなかったのだ」
と思っていました。
でも、育児にウンザリして、イライラしてしまったとき、子どもを虐待してしまう母親の気持ちが少しわかってしまうことってありませんか?今日はそれについて書き留めたいと思います。
母親だけど、母親だから、息子が嫌だ
息子(小2)について。
愛しいです。可愛いとも思います。
だけど…最近「嫌だ」と思うことが多いです。
あー言っちゃった。
ひどい母親だってわかってます。でももうこの際だから全部吐き出しちゃう。
うちの息子は、こんな人です。
利己的で、相手をコントロールしようとばかりして、相手が思い通りにならないと怒る。自分に甘く他人に厳しい。優越感を得たいくせに、努力は嫌い。自分が楽することばかり考えている。
文字にすると本当に嫌なやつでしょう〜〜。
息子のことを知っている大人(ママ友とか担任の先生とか)の中には、もう少しマシな印象を持つ方もいるでしょう。
でも、母であるわたしは、より本質的な部分が見える家の中での行動も目の当たりにします。妹とのやり取りとか、ほんと酷いもんです。息子は、怒りのスイッチが入った時には、怪我につながる事故になってもおかしくないようなことを衝動的にやったりもします。そういう時、母親として息子を可愛いと思う気持ちよりも、人としてこの人嫌だ、と思う嫌悪感の方が勝ることがあるのです。
社会性と損得勘定
かく言うわたしも、本質的には息子と同じく、
「利己的で、相手をコントロールしようとばかりして、相手が思い通りにならないと怒り、自分に甘く他人に厳しく、優越感を得たいくせに、努力は嫌いで、自分が楽することばかり考えている」、
という人間なんですよ。
でも、わたしのことをリアルで知っている人で、わたしのことを上記のような人間だと思っている人ってさすがにいないと思うんです。いない…はず。(弱気)
わたしが嫌な自分をどうして周囲に出さないようにしているかいうと、ずばり、損得勘定なんですよね。
自分の中の「嫌なやつ」をさらけ出すと、周囲の反感を買い、そのことで自分に返ってくるデメリットが大きいこと、むしろ、そこを改善して周囲と良い関係を築いた方が、結果的に自分にメリットがあるということが、わかっているんです。これを社会性と呼ぶのでしょう。
中学生くらいにもなれば、社会性を身につけ、そういった嫌な自分(損な自分)を隠すことができるものです。
で、息子の場合、社会性が未発達なものだから、自分本位で利己的な言動がダダ漏れなんですよね。
「自分が一番」
「自分だけが楽しければいい」
わたしには、こういう息子の思考回路が手に取るようにわかり、同族嫌悪的にその卑近さに嫌気がさすのかもしれません。
人は誰だってGiverが好きでTakerが嫌い
クレクレ星人と揶揄されるように、人は皆、与えられるとことばかりを求めてくる人(Taker)を嫌います。
逆に、人に与えることだけを考え、見返りを求めない人(Giver)は好かれます。こういう人の周りに人は集まります。
昨今では、周囲にひたすらGiveし信用を貯めろ(「貯信」しろ)、なんて教えも出てきていますよね。
言わずもがな、息子はTaker。我が子だろうがTakerにはムカつきます。
同じ環境で同じ親の元で育ってるにもかかわらず、娘(妹)は完全なるGiverです。毎朝、どんなに眠くてもわたしが寝室を出る際には一緒に起き、玄関でバイバイをする。毎日、わたしや夫に「だいすき」「愛してる」を振りまくし、仲良しのお友達には毎日のようにお手紙を書き「だいすき」を伝える。いつも笑顔。努力家で、保育園のお友達に感化され、毎日暇さえあればいつでもどこでも逆立ち歩きの練習をしている。何かが秀でているお友達のことを妬まず、〇〇ちゃんはXXができてすごいんだよ〜と惜しみなく褒める。
息子のことは理解できるけれど、娘のことはあまり理解できないです。自分と違いすぎて。Taker気質のわたしにとっては、正直、畏れを感じるほどです。
子どもはみんな無垢で天使。。というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、個体差の方が大きいと思います。息子は今の娘の年齢の時にはすでに傍若無人でしたし、自分自身が幼い頃も娘のような子では無かったことを覚えています。
子どもから離れる手段を持っていることの重要さ
こんな感じで、今、絶賛「息子が嫌で仕方ない」時期のわたし。
でも、過去にもこんなことがあってまた可愛いと思える時期もきた気もするし、自分の気持ちにも波があることや、息子がもう少し成長して社会性を身につけるようになったら多少なりともマシになるということも理解しているのです。
だから、特に悲観しているわけでも罪悪感を抱くわけでもなく、少し意識して息子と精神的な距離をとろう、と思っています。つまり、最近のわたしは、息子に対して「オフ」の状態です。
期待するからイラっとしたりする。だから、期待しない。何かをしてあげるから見返りを求めてしまう。だから、必要最低限のことしかしない。
平日は義両親というヘルプもあるので、わたしがオフになっても子どもは飢えることはないし、いたって普通に生きてゆけます。わたしがオフであることすら気づいていないでしょう。(むしろ、口うるさく言ってくることが減ってラッキーとか思ってそう)
夫が帰ってきたら「もう今日はウンザリだから子どもの相手は任せた」と引き渡します。
逃れることのできない人間関係において、お互いを守るためには、「いい距離感を取ること」が最適な手段だと思います。無理矢理どちらかが関係を良くしようと頑張ってみたところで、多くの場合それは相手を変えようとする行為であり、それが良い結果になることは少ないでしょう。逆に何もやらなくても、時が来れば勝手に改善されていることもあります。子どもが成長するように。
でも、嫌で仕方ないモードである対象の我が子と「距離を取る」手段が、全く無かったらと思うとゾッとしますね。
子どもを祖父母や保育園に預けることができない=四六時中一緒にいなければならず、わたしのように「オフ」になることもできないとしたら。
恐ろしいことですが、虐待してしまう母親の気持ちが理解できてしまうのです。
子どもを虐待する親の心理とは
ニュースになるような母親からの虐待には大きく2種類ありますよね。
暴力と、ネグレクトです。
わたしが思ったのは、
暴力は、「子どもを放置するわけにはいかない(自分がオフになってはいけない)」を最後の砦だと思っている人が、狭い空間で子どもと向き合った結果、引き起こされるもの。
ネグレクトは、「このまま一緒にいたら子どもに手を上げてしまう、それだけはしたくない」と思っている人が、避難的に距離を置いたのがエスカレートしてしまったものではないか、
と思いました。
どちらのケースにも、安心して、子どもと離れられる環境が必要なんですよね。
つまり、虐待をしてしまう人というのは、親になる能力(人間的な成熟度とか)がなかった人ではなく、
子どもと適切な距離を置くための環境を作る能力がなかった人、なのではなかろうか、と。
そんなふうに思ったのでした。
もちろん、虐待は悪いことです。許されるものではありません。
でも、子どもはひとりの人間である、という前提に立つと、母子だからって相性が合うとは限らず、ウマが合わない可能性だって十分にあります。
運悪く合わないほうだったとして、それでも、親子関係の場合、会社を辞めたり恋人と別れたりするように簡単に解消することはできないわけですよね。離婚ですら、親子関係の解消よりはきっと容易いでしょう。そんなふうに、母親が物理的に精神的に追い詰められた結果、虐待という悲しい事件が起きてしまうのではないでしょうか。
そう考えると、最悪のケースに至らないようにするために、子どもと距離を置ける手段と自由を持つというのはものすごく重要なことであると思うのです。
子どもと距離を置く手段をたくさん準備しておくことの重要さを、多くの母親に知ってもらいたいな、と思いました。
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